プロフィール

アトリエ ハルモニアガーデン 

Atelier Harmonia Garden


オーナー 川西朋子(つきにこ)
奈良県御所市在住 

5年前パートナーと結婚後、御所市に転居
2人&猫1匹暮らし

私と植物との関わり

ハーブとの原初体験は、幼い頃に遡ります。母の実家が薬草を栽培する農家で、その地域は古来から薬草栽培が盛んでした。母の実家の近くに大きな薬草薬樹園があり、よく遊びに連れて行ってもらいました。そんな環境もあり、生まれ育ちは都会ながら、子供の頃からハーブや薬草に自然に興味を持ち始めました。何よりハーブ葉の清冽な香りに惹かれたのです。祖母が自宅の庭で山野草をたくさん育てていて、暮らしの中に植物が当たり前のようにいつもありました。中学生になると自身で種苗会社に問い合わせ、ハーブの種を取り寄せ(ハーブ苗は今のようにまだ流通していませんでした)、庭の片隅でさまざまなハーブを育て始めました。20代の頃は植物好きが高じて、ガーデンデザイナーを志し、イギリスに短期留学したり、園芸店で働いたこともありましたが、その当時女性ではなかなか職として立つことは難しく、結局は趣味のガーデナーとしての道を選びました。
私の10〜20代の頃はイングリッシュガーデンが大ブームで、私も一時傾倒していました。20代半ばの英国短期留学中に出会ったイギリス人ガーデナーに、日本庭園の素晴らしさ、和文化や職人の技術の素晴らしさをこんこんと説かれ、なぜ日本で学ぶことがたくさんあるのにイギリスなんかに来たんだと言われました。灯台下暗し、私の学びは日本にこそあったんだ、と、西洋ハーブやイングリッシュガーデンも好きだけれど、環境にあった植栽の大切さ、日本古来の薬草や、自生種を守ることの大切さに気付かされました。それからは、いいとこ取りと言うとずるいですが、和洋折衷のちょうど良いバランスを自分なりに探っています。
ハーブや植物との関わりを日々の暮らしの中で深めることはすっかり生活の一部です。
自然界の多様性、全体の調和のバランスを見極めた、人と自然とが共同作業で形作る庭づくり、空間づくり、そのために人として私に何ができるか、を、楽しみながら日々、実験、追求しています。植物だけでなく、昆虫、魚、微生物etc…全ての生き物がバランスよく循環している多様な空間を観るのが好きです。また、そういう空間を作るのが何より生きがいです。

Quolity Of Lifeを高める

人生の前半は、生きるのがとても辛く苦しい、と感じる時間が長く続きました。死んでしまいたい、と10代の前半からずっと思っていました。常に他者や社会との分離感を感じていました。なぜこんなに苦しいのか、どうしたら良くなるのか?こんな私でもより良く生きることができるのか?自分のこころに向き合うことが始まったのは、この苦しみをなんとか解消したい、というかなり切迫したものからでした。思春期から心理学の本を読み漁り、時にカウンセリングを受け、さまざまなセラピーを知り、ヒーリングの世界と出会い、また、ヨガや野口整体、エサレンマッサージなどのボディワークの世界にもふれてゆきました。紆余曲折さまざまなドラマのあった長い長い旅でしたが、おかげで、ずっと息ができない状態でもがきながら深海の底に沈んでいたのが、少しずつ浮上して、やっと水面で息ができるようになったなぁ、と、今感じています。今は海の中を気持ちよく泳ぐことを日々学んでいます。たまに脚がつって溺れたりしますが…底に沈んでもまた浮上できるし、中で仲良く魚たちと遊ぶこともできる、ような感覚で…自分と世界を楽しみながら生きていくことを日々模索、体験中です。

旅の中で、私を支え、励まし、寄り添い、サポートしてくれたヒーリングやボディワークの師や先輩、友との出会いもまた、かけがえのない宝です。そして、自然に身につけた、自分のこころの回復の支えになった学び。
その叡智を、必要な方に、必要なタイミングで、今の私なりに届けられればいいなと思っています。
ヨガ・こころにやさしいタッチケア・魂の心理学・音楽療法 etc 私がお伝えするのは、ご自身のからだとこころの海を自在に泳げるようになるために、私が日々役立てている普遍的なエッセンスです。
私自身、まだまだといえばまだまだですが、そんな凸凹な今の私でお伝えできることを、どなたか必要な方に届けられたら、そんな気持ちで分かち合いの場を持っています。

和文化

私がなぜ和文化に惹かれるのか?それは、生まれ育った家と長く同居していた大正生まれの祖母の影響がとても大きくあります。都会の片隅に暮らしていましたが、その土地は元々江戸時代から稲作を生業とした農村で、実家は元庄屋で築100年の伝統的な木造農家住宅に暮らしていました。祖父も父もサラリーマンでしたが、農家の名残りで家には古い農機具があったり、鶏小屋があったり。祖父母の昔語りで、今はすっかり都市化して工場廃水や排ガスで汚染されたこの町は、少し前まで魚が住む綺麗な川が流れ、あたり一面稲穂が風にそよいでいたのだと聞き…古民家の縁側に座り、祖母と共にのどかな農村地帯だった過去の光景を幻視していました。
祖母は主婦をしながら煎茶道を自宅で教えていました。家の裏には祖父が丹精した和風庭園があり、祖母はその前栽で茶花を育て、部屋には季節折々に花が飾られていました。
祖母は厳しい指導者だったので、子供の私は茶道に堅苦しさを感じて嫌厭してしまい、たまにお稽古に同席したり、ちょっとしたお茶会のお手伝いをする程度で、祖母が引退するまで結局学ばずじまいでした。
祖母が亡くなり、大量の茶道具と着物が残されました。親類のうち何人かが祖母に学び師範の免状を取っていましたが、引き継ごうとまでいう人は現れませんでした。慎ましい庶民の暮らしの中でささやかな楽しみでしていた茶道ですので、なんでも鑑定団で高値がつくようなお道具はありません。けれど、祖母の思いがこもった大切なお道具の数々、むげにはできない…無謀にも私が引き継ぐことにしました(祖母は小笠原流煎茶道の師範で、お抹茶も学んでいました)。まずは煎茶の先生を探してみましたが、身近にいらっしゃらず、たまたま知り合った茶の湯全般に詳しい方にお道具を見ていただく機会を得ました。祖母の形見をなんとか活用しよう、とその方の手ほどきで、実家の茶室で薄茶を点てるお茶会を開いたのが、茶道と出会い直すはじまりです。その後のご縁で素晴らしい師を得て、40の手習いで今学んでいるのは裏千家流です。いつか祖母が教えていた煎茶道も学んでみたいと言う気持ちはありますが、それはご縁のなすままに。

今の日本では流派を飛び越えるのはタブーですが、千利休は弟子にさまざまな流派を習うことを推奨していたと言います。私もそんな柔軟な感性で茶の湯という世界観を広く捉えていたい。そして、祖母から受け継いだ茶道の通底に流れる精神性「和のこころ」を自分なりに育んで、分かち合って行けたらと願いつつ、私なりにお茶を点てています。

福祉職として

私は、介護福祉士、社会福祉士として、10年来、対人援助の仕事の経験を積んできました。
きっかけは、母が、ホームヘルパー2級の資格を姉妹で取らせてくれたことです。母自身も含めてその時は、自分が介護の仕事をするなんて夢にも思っていませんでした。その後母が、ひょんなことから介護の仕事を始め、「人手が足りないから手伝ってほしい」と頼まれ、何の気なしにホームヘルパーとして高齢者介護の世界に飛び込みました。右も左もわからない、今思うと素人同然でよくやっていたなと思います。人と関わるのもおしゃべりも苦手だったのですが、何かの形で人とのつながりを心の奥底では求めていたのと、人の役に立ちたいという思いもありました。利用者である高齢者の方々は、若い私を大目に見て優しく接してくださる方が多く、日常生活をお手伝いしながらお話を聞くことならできました。日々の業務の中で徐々に介護士として対人援助の仕事の専門性を学んでいきました。その後、上司から声かけいただいたのもあり、バイトから正社員となりました。上司や環境に恵まれ、現場で働きながら、少しずつスキルアップして、介護福祉士、そして大学に編入して社会福祉士の資格を取得しました。
人の役に立ちたいという思いが燃え尽き症候群となって、身体を壊して入院したりして、介護の世界から離れたい、と思ったこともありましたが、自分の中の仕事のありようを見直しながら、専門性を高めることで克服していきました。
その後、高齢者だけでなく、広く一般の人とも関わりたい、と、民間の企業で福祉の人材を求める場所へと移り、健康施設の運営兼セラピスト、整体院のボディーワーカーなどの実務も経験しました。
それと並行して、仕事の余暇を利用して、自宅サロンでの週末セラピストの活動も始めました。内容は、自身が学んできたヨガ、アロママッサージの施術や好きが高じたハーブクラフト教室です。おうちサロンはライフスタイルの変化に合わせて形を柔軟に変えながら、今もライフワークとして続けています。

未来を担う子どもの支援を経験したい、と、思っていたところ、不思議なご縁で、小中学校のスクールソーシャルワーカーとなりました。
ソーシャルワーカーは、それまでの実務的な介護や運営業務とは全く違い、最初は戸惑いの連続でした。
「環境調整」、それは自分は黒子になって、目に見えないネットワークを張り巡らせて、そのセーフティネットで関わる子供や保護者を支えていく。常に鷹の目を持ち俯瞰しながら、蜘蛛の糸をつなげてネットワークを編むような仕事で、対象も1対1からマスに広がり、難易度は格段に上がりましたが、その分とてもやりがいのある仕事でした。この仕事ではチームワークも実践的に学びました。ソーシャルワーカーとして業務上さまざまなプロジェクトに携わったり、プライベートでもこども食堂を有志の仲間と立ち上げたり、働きかけ次第で、環境はより良く変えられることも実践の中で体験しました。それは1人ではとてもできないことも、チームでやれば、創り出せる、アリ一匹でも集まって力を合わせれば社会を動かせる、という貴重な成功体験でした。


振り返れば、仕事を通して、常に、関わる方々を支えながら、支えられていました。そして現場から学ばせてもらい、育ててもらいました。結婚後、仕事一筋だったこれまでのワークライフバランスをゆったりモードにギアチェンジしましたが、これからも自分なりに何かの形で社会貢献してゆけたらと願っています。


〈取得国家資格〉

介護福祉士 社会福祉士

2015年有志で立ち上げた地域食堂『まあるい食卓』での懐かしい一コマ。看板、チラシ、何もかも手作り、手探りで始めました。場所やメンバーが入れ替わりながら(私も転居し運営を離れました)小学生だった参加者さんが成人に近づいて、スタッフメンバーとなって関わり続けてくれていたりと、今も地域に根づきながら続けられています。ボランティアメンバーに感謝。

PAGE TOP